1.不二洞(鍾乳洞)県指定天然記念物 |
洞内延長 2.2km、関東最大の規模を誇る鍾乳洞。今から約1,200年前、山中に入った村人が野猿の集まっている小さな穴を発見しました。その穴がこの鍾乳洞でした。その後今から約400年前、藤原山吉祥寺の僧、中興開山上人が初めて最奥部まで足を踏み入れ、この洞窟を世に広め、その後は修業の場として利用されて来ました。上人が探検したことから、洞内45個所に「五百羅漢」、「さいの河原」など、仏教にちなんだ名称が付けられ、照明に照らし出される奇観には思わず息を飲むほどです。洞内には約700mの見学コースが整備され、要所要所で音声による説明が流れています。また、この鍾乳洞周辺は川和自然公園としてバンガロー、キャンプ場や全長225m、最大地上高90mの吊り橋「スカイブリッジ」などの施設が整備されています。 |
(上野振興公社「川和自然公園」パンフレットより)
所在地:群馬県多野郡上野村 M上野振興公社 Tel. 0274-59-2584
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2.せばやし瀬林のれんこん漣痕「さざなみいわ漣岩」と恐竜の足跡、化石 県指定天然記念物 |
昭和28年、道路工事により露出したこの岩には一面に亘って漣痕と呼ばれる漣状の形象が見られることから「漣岩」と呼ばれています。「漣岩」は約1億二千万年前の白亜紀の瀬林層という砂岩層からできていますが、砂岩層が周辺に比べてこの辺りだけ厚いという特徴や、同じ瀬林層の泥岩層から産出された貝の化石の種類により特定される生息地から、「漣岩」は大昔の河口にできた三角州の干潟で、表面の漣痕は当時の水が流れた痕とされています。
この「漣岩」には大小2つのグループの窪みがそれぞれほぼ等間隔で直線的に分布していますが、昭和60年に日本で初めてこの窪みが恐竜の足跡と認定されました。輪郭が明瞭でないのは、足跡が直接砂岩層に付けられた”ナチュラルプリント”ではなく、砂岩層の上に積もった泥岩層の上を歩いた際、重みで下の砂岩層にできた”ゴーストプリント”だからです。
認定より遡る昭和56年には、この岩の裏手から恐竜(さんちゅうりゅう山中竜)の背骨の化石が発見されていました。この骨と良く似た骨はモンゴルでも発見されており、当時日本はアジア大陸と陸続きでその東端に位置していたと考えられています。
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漣岩(左写真)と足跡の分布(下図)
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「漣岩」は群馬から埼玉県秩父方面へ向かう国道299号線の道端にあり自由に見学できますが、地元村内に昭和61年に開館した「恐竜センター」には、「漣岩」のレプリカのほか、恐竜、貝類などの貴重な化石を含む各種古生物標本、ジオラマなども展示されています。
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山中竜の復元模型(恐竜センターにて)
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所在地:群馬県多野郡中里村 恐竜センター Tel. 0274-58-2829
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3.奇勝・奇岩 |
1)鬼押出し
天明3年(1,783年)、天明の大飢饉の原因と言われる、浅間山の大噴火が起こりました。この噴火で浅間山北麓に流れ出た溶岩流により作られたのが現在の「鬼押出し」です。火砕流によって削り取られた山肌に沿って流れ出した溶岩は、流れ下る間に表面が固まり、それが砕けて大小の岩塊が積み重なった状態になりました。火口で鬼が暴れ、岩を押出したという、当時の人々が見た噴火の印象からその名が付いたと言われています。幅2km、面積6.8kFの広大なこの溶岩原は世界3大奇勝の1つに数えられています。
「鬼押出し」には長野原町営の浅間園と民営の鬼押出し園が開設されていて、それぞれ溶岩原を縫う散策ルートが整備されています。また、浅間園には浅間火山博物館も開設されており、火山の地学的展示や浅間の動植物などの自然展示のほか、コンピューターグラフィックスによる地底探検や恐竜時代へのタイムスリップ、天明の大噴火が迫力の音と映像で体験できます。
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鬼押出し園
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浅間火山博物館(手前)と浅間山
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所在地:群馬県吾妻郡嬬恋村 |
浅間火山博物館 |
Tel. 0279-86-3000 |
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鬼押出し園 |
Tel. 0279-86-4141 |
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2)浅間山溶岩樹形群 国の天然記念物
浅間山の噴火で流れ出た溶岩流が山麓の林に流れ込み、樹木の幹を残したまま固まりました。灼熱の溶岩で傷んだ樹木はやがて枯れて朽ち果て、幹の跡が井戸状の穴となって残りました。こうしてできたのが溶岩樹型群です。鬼押出し周辺に約500ヶ所確認されており、穴の直径0.5〜2m、深さ3〜7mと大小さまざまです。
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