■特集010 石にまつわる話「 四国編 」

1.龍河洞
四国の石灰岩は四国東端阿南から宇和海に至る秩父帯(北帯の北縁が上八川―池川構造線、いわゆる御荷鉾構造線、南帯の南縁が仏像―糸川構造線)に最も多く賦存し中でも一大産地高知県は土佐山田町、高知市から北東20km、国道から4kmと比較的近い距離にある龍河洞を今回ご紹介いたします、龍河洞は南帯の石灰岩中の石灰洞で天然記念物及び史跡として指定されています。 
龍河洞は標高322mの三宝山中腹にあり洞内は総延長4kmに及び、公開されているのは約1km)西本洞、中央洞、東本洞を幹線としてこれらに24本の支洞が連結していて一大迷路となっていますが順路となっているのは東本洞です。
洞内はスケールの大きい多種多様の形容をもつ鍾乳石、石筍、石柱が見られます。
もう一つの大きな特徴は、洞内に先住民族の窟居の跡があり、多数の遺物があることで、鍾乳洞に窟居のあるのは世界的に珍しく、殊に石灰華におおわれた弥生式土器は世界に唯一の重要な考古資料になっています。
遥か南方の浅い海に住んでいたサンゴや、貝、有孔虫などによって出来た石灰岩が赤道付近のマントル対流の流れに乗って1年間に6−10cmという想像を絶する年月を経て現在地まで移動してきたというプレート移動説、まして100年に1cmという鍾乳洞の形成まさにキャッチフレーズ「地球が語りかけてくる一億七千五百万年の物語」、「幽玄と古代へのタイムトンネル」龍河洞でした。
   (財)  龍河洞保存会
    高知県香美郡土佐山田町     電話  0887−53−2144

2.別子鉱山
 JR新居浜駅の南南東10kmのところに別子本山鉱入口、端出場地区がある、
 ここには鉱山跡地を利用した観光施設第三セクター(マイントピア別子)がある、また県道を5km、左折して約6km登る、宇摩郡別子村山東平(とうなる)地区に東平歴史資料館があります
 秋田の小坂鉱山、栃木足尾鉱山とともに日本の三大銅山として伊予の別子銅山はこの赤石山系の西の一角にある。元禄4年(1691)銅山峯南斜面の開坑以来昭和48年(1973)海面下1000mの深部にいたり、著しい地圧の増大と地熱の上昇により閉山に至るまで283年にわたって稼行された別子鉱山、その開発が地下深部へと進行していくにしたがって、生産の拠点は別子―東平―端出場と変わり、昭和43年には上部坑道の閉塞に伴って銅山峯周辺もようやくかっての静観をとり戻し閉山後の植林事業とも相まって、(それ迄にも急峻な斜面に石組み、土を運んで植林をするという困難な作業を繰り返しながら)、かって藪の中に埋もれていた鉱山の施設の跡も、今では深い木立の中でその全容を現し、貴重な産業遺跡となっている。木々の生い茂る小道を進むと、銅を採掘していた坑口が所々にあり、自然にとけ込むかのように樹木に混じって建物跡の石段やレンガ塀が姿を見せる。
 山頂近くには別子銅山採鉱の発端となった「歓喜坑」があり(四ツ留工法により再建されている)、手前の広場でしばしの休息をとる人たちも。

天気がよければ新居浜の全景が見えます
 マイントピア別子は、端出場の跡地に建設されたテーマパークである。
 蒸気機関車(別子1号)をモデルにした鉱山列車に乗って、内除まで数百メートルの旅が楽しめます、その旅は、(時間の旅)でもあり降りるとそものまま坑内見学ができ、江戸時代の採掘現場から近未来の宇宙鉱山までタイムトンネルのようにすりぬけていくのである。
 東平は標高700−750m、山の中腹にあった鉱山都市である、最盛期には、社宅、学校、劇場まであったという。今も残る施設の跡がそれらを偲ばせてくれます。
メモ   南側の日浦の登山口へは松山自動車道新居浜インターチエンジ(IC)から車で約1時間。北側の第三通洞脇の登山口へは車で約40分、さらに徒歩で約10分南北両側の登山口から銅山越までは約1時間30分。
  登山に関する問い合わせは新居浜市体育文化課  電 0897−65−1303
(編集委員 津山 敏晴記)