■特集007 石にまつわる話「 関東編 その4 奥多摩 」
 今回は関東編その4として、奥多摩の「石」についてご紹介します。
 奥多摩は東京都の最西北端に位置し、全域が自然豊かな秩父多摩甲斐国立公園内にあり、奥多摩町の面積は東京都の9分の1を占め、その内94%が森林で占められています。また都心から電車でおよそ2時間と比較的近いこともあり、都民の水瓶である奥多摩湖をはじめ、春は新緑、夏は登山や多摩川、日原川での渓流釣りや河原でのバーベキュー、また秋には紅葉狩りと様々なスポットに大勢の観光客が訪れます。
 奥多摩、とりわけ多摩川の左岸側支流日原川の上流域には標高の高い山が多く、北〜西〜南側に西谷山(1,718.3m)、水松山(1,699.2m)、白岩山(1,921.2m)、雲取山(2,017.7m)、七ツ石山(1,757.3m)、鷹ノ巣山(1,736.6m)などの山々が連なり、関東山地の一角をなしています。
 奥多摩地域を含む関東山地南部には、広義の秩父帯に属する中・古生層及び白亜系〜古第三系がいずれも北西−南東、ないし西北西−東南東方向に帯状構造をなして分布しており、両者は仏像構造線によって境されています。
 今回は日原観光のメインスポットであります「日原鍾乳洞」をはじめ、20年以上前まで行われていたマンガン鉱の採掘のお話などご紹介いたします。

1.日原鍾乳洞

 日原鍾乳洞は、西東京バス終点から日原川支流小川谷を遡って徒歩5分のところ、小川谷の左岸にあります。人跡の通ずるところ約800 m、鍾乳石からなる連華岩、獅子岩、白衣観音等、いずれもその形状から命名され、他に格天井、舟底岩等の岩盤。弥陀の原、死出の山、賽の河原等の広濶。護摩壇、12薬師、13仏の壁面、地獄谷、三途の川という小流等、宗教的な名称が附せられ、いずれもその名にさも似たりという形状をしています。
 洞内を大別すると旧洞と新洞とに分かれ、温度は年中摂氏11℃で、夏は極めて涼しく冬は暖かである。通路はよく整備され伝統設備も完備しているので、老人、子供も容易に探勝することができます。特に新洞は石筍、石柱の発達が著しく、洞内は金世界・銀世界で、特に乳石の乱立は豪壮雄大、鍾乳石の豊富さとその美観の素晴らしさは、まさに関東随一と激賞されています。この珍しい洞穴、日原鍾乳洞は、ここを訪れる探勝者すべての心を奪い、恍惚夢幻の境に誘います。
 また、平成8年8月には大宮殿にふさわしい自然の音を奏でる水琴窟も設置され、厳かな鍾乳洞の雰囲気の中で透明で優雅な音を楽しむことができます。(注:水琴窟の音は小さい音ですので、精神を集中し、耳を澄ましてお聞きください。)
※水琴窟   日本庭園の特殊技法のひとつといわれ、江戸の初期の庭師によって考案されたもの等といわれている。(造園家とも知られている茶人、小堀遠州が18歳の時発明した「洞水門」という蹲踞(つくばい)がルーツともいわれている)
 水が奏でる澄んだ不思議な音色は地中に埋めた水を張った瓶に手水鉢の水が滴り落ち、水音が反響して音を作り出すもの。



2.奥多摩のマンガン鉱山
 奥多摩の鉱業といえば、多くの方は「石灰石の採掘」を思い出されることでしょうが、古里地区には砕石鉱山もあり、町の産業を支えています。
 しかし、奥多摩で昭和14年から54年までの41年間に渡って、マンガン鉱の採掘が行われていたことと聞くと、驚かれる方も多いのではないでしょうか?
 マンガンはその優れた脱酸・脱硫作用から鉄鋼業をはじめ、銅やアルミニウム等の金属の添加合金元素として大量に使用され、工業的に非常に重要な鉱物です。
 奥多摩でのマンガン鉱の発見・採掘方法は、当初は地質学・鉱山学というよりは、むしろ経験により積み重ねられた技術に、その多くを依存していたようです。厚さ数10cmから数mの鉱床が見つかれば、露頭を探してさらに詳細な地質調査を行い、もっとも多くの鉱石が埋まっていそうな箇所に、タガネやセットウ注)を使って岩を砕き、掘り込みます。大量に採掘できると確信できれば、砕岩機を使って内部で仕事ができるようにするために、2m四方の大きさに坑道を広げ、更に億へ掘り進めます。鉱脈に沿ってタヌキ掘りで進めて行きますが、鉱脈が枝分かれしていれば坑道も枝分かれをさせ、上下・左右に鉱脈に沿ってさらに奥へ掘り進めていくやり方でした。奥多摩では昭和14年から18年に奥多摩鉱山、昭和17年から20年に白丸鉱山、昭和26年から30年に鋸山(のこぎりやま)鉱山、昭和33年から39年に川乗鉱山、昭和39年から54年に簾川(きよかわ)鉱山で採掘が行われました。
 奥多摩の各地から掘り出したマンガン鉱は数万トンにのぼり、日本の重工業に大きく貢献いたしましたが、鉱脈が貧弱で、利潤が少なく、資本が集まらず、個人経営で企業化できなかったり、また鉱石の価格が買い手市場だったなど当時の様子が伝えられています。
引用文献 多摩中央信用金庫発行「多摩のあゆみ」昭和60年2月15日発行 第38号

3.菊花石

 シャールスタインの中に菊花模様に「方解石」「石英」が入っているのを菊花石といい、日本では貴石、盆石等として重宝がられています。かつて岐阜県根尾谷に発見されたものが有名で、その外観が緑、赤、褐、朱、紫などの地肌に白や赤色の菊花模様が、20 cm 以上に及ぶたいへん美しいものを、徳富蘇峯、川合玉堂が見て、これに関心を寄せ、世間でも関心が高まったとのことです。日本では根尾谷のほか、京都、東北の一部に産しています。この珍しい菊花石がこの奥多摩町内から発見されたというので世間の話題になりました。当時は石ブームと相まって、発見地に見学、採石に立ち寄る人が多かったと伝えられています。菊花石についてなされた研究には、菊花石は角閃輝緑岩の中の角閃石が放射状に集合、成長して、それが二次的に方解石や石英が交代したといわれる変質仮像である。としているものがあります。
引用文献 桐朋学報30号(昭和50年12月)
          「東京都西多摩郡奥多摩町及び天祖山周辺地域の地質学的研究」高岡 善成

4.多摩石(Tamaite)

 これまで在京の多くの研究者により、多くの新鉱物(世の中で初めて見つかった鉱物)が日本各地から発見されています。しかし地元の東京都からは数種の日本新産鉱物が発見されてはいたものの、新鉱物は1種も発見されてはいませんでした。
 奥多摩町の白丸鉱山は変成層状マンガン鉱床で、これまでキュムリ石・重土長石・バナルス石・エディングトン沸石・ストロンチアン石・ストロンチウム紅れん石などのBaやSrに富む稀産鉱物が発見されていました。国立科学博物館の松原聡氏は1985年にガノフィル石(ganophylite (K,Na,Ca)6 Mn24 (Si,Al)40 O96 (OH)16・21H2O)の入るサイトでCa>K+Naとなる“ガノフィル石のカルシウム置換体”が白丸鉱山にあることに気がついていたそうですが、ごく少量の試料しかなかったため、その諸性質を決定できず、新鉱物としての申請もできなかったそうです。
 通常、白丸鉱山は多摩川にかかる白丸ダムによって完全に水没していますが、1998年1月、白丸ダムの水位が下がった際に今井裕之氏が露頭から無色〜単黄褐色の六角薄板状結晶なすCaに卓越するガノフィル石を採集し、国立科学博物館の宮脇律郎氏によってデータが得られた。
 Caに卓越するガノフィル石は、加藤敏郎(1980)により、イギリス・Benallt鉱山産のものが報告されていたが、詳しい記載は未公表である。また、Mottanaら(1990)によりイタリアのMolinello鉱山のマンガンと鉄に富む変成チャートからの報告があるそうですが、これは斜方晶系で単斜晶系を示す白丸鉱山のものとは異なり、この白丸鉱山のCaに卓越するガノフィル石は、地域の名称にちなんで多摩石(Tamaite)と命名され、1999年に国際鉱物学連合の新鉱物・鉱物名委員会へ申請され、同年、認可されました。
(編集委員 長島智久記)