■特集002 石にまつわる話「 関東編 その1 栃木 」


1.栃木県葛生町

  栃木県葛生町、栃木市にかけては石灰石、ドロマイトの巨大な鉱床があり、古くから石灰業が盛んです。筆者もその恩恵を授かっている一人でありますが、当地区では次のような化石が産します。
(1).石灰石中にみられる紡錘虫(フズリナ)化石:古生代二畳紀 約2.5億年前の古い地層。
(2).ナウマン象、ニッポンサイ等の動物化石、植物化石:20〜50万年前
(3).葛生原人:昭和26年に発見された古人類人骨化石で。猿人の次に地上に現れた人類と言われておりましたが、最近になり「原人」ではなさそうであることがわかり、みんなをがっかりさせました。これらは葛生町郷土資料室に当地区の石灰石工業の紹介とともに展示されております。入場無料ですのでどうぞご覧下さい。
石灰岩地帯といえば鍾乳洞がつきものです。当地区は石灰業が盛んなだけに自然のまま残っている鍾乳洞は少なく、葛生町に1箇所「宇津野洞窟」が公開されています。小さな鍾乳洞ですがこちらも入場無料です。
葛生町郷土資料室 栃木県安蘇郡葛生町中央東1丁目11番5号 電話0283(86)3416
葛生町共同資料室のニッポンサイ化石標本
宇津野洞窟の石筍

(4月23日まで改装の為、ゾウと一緒にホールに展示されていました。)
2.大谷石

旧帝国ホテルに使用された大谷石をご存知の方も多いでしょう。私もそうだったのですが、その産地が栃木県宇都宮市であることは「知る人ぞ知る」ではないでしょうか。
(1) 地層
大谷石は2〜3千万年前という比較的新しい地層で、流紋岩質角礫凝灰岩というのが本名だそうです。火に強く、軽く、軟らかくて加工が容易なことから、古くから石材として採掘されてきました。地層は地表から、上部大谷石層に続き、上下部、中部、下部の4層に分けられますが、石材に適すのは風化していない上下部、中部層で、100〜300メートルの厚さで市北西部の大谷地区から宇都宮市中心部に向かい8〜10度の勾配で潜り込んでおります。埋蔵量は10億tと言われ、毎年数十万tが採掘され、関東を中心に全国に出荷されています。
(2) 採掘方法
大谷石の包丁で切ったような異様な地下の大空間の写真をご覧になった方は、どうしてあのようなきれいな掘り方ができるのか不思議に思われたのではないですか。何故地下で採掘しているのかは先程の説明のとおりです。スパッと切ったような切羽面は、掘ったものをすべて石材とする為です。昭和30年代以前は、ツルハシとノミによる手掘りでしたがその後チェーンソーに変わり、生産能率が約5倍になりました。
採掘はまず「平場掘り」により地表から縦に掘り下がります。この部分は壁に横縞模様が残ります。充分掘り下がったところで次に「垣根掘り」で横方向に掘り進みます。この部分は壁に縦縞模様が残ります。垣根掘りは難しい上に体力を要しますのでコストが倍掛かり、ある程度入ったところで平場掘りにより掘り下げます。
現在は約100業者が採掘を行っております。
(3) 採掘跡利用
 太平洋戦争末期、中島飛行機の地下工場としてエンジン制作等が行われました。戦後、昭和45年には政府余剰米の備蓄倉庫に使われ、昭和54年に「大谷資料館」が開館し、観光資源として一般に公開されています。入場料は600円。真夏の暑い日がおすすめです。今はコンサートや演劇等のイベントスペースとしても利用されております。
採掘跡地にある大谷の駐車場
大谷資料館の新旧掘削道具

大谷資料館 栃木県宇都宮市大谷町909 電話028(652)1232 http://www.oya909.co.jp
3.足尾銅山

栃木県北西部に位置する足尾町は、足尾銅山の町として有名です。足尾銅山の開発は1610年ですが1877年(明治10年)に、古河市兵衛の経営となってから、日本一の銅鉱山として繁栄しました。大正年間には人口が3万人を超え、栃木県第2位の町となり市への格上げが検討されたことがありました。繁栄の一方で精錬廃ガス、廃水による渡良瀬川の汚染、洪水によって近隣水田が汚染被害を受ける「足尾鉱毒」が問題化。この問題に真正面から立ち向かったのが時の衆議院議員、田中正造氏です。氏の議会での「公益を害する・・・」が今の公害という言葉の原点になっています。1900年(明治33年)、被害農民と警官隊との流血の惨事が発生(川俣事件)、翌年氏は辞職、天皇への直訴未遂事件が起きました。
地図を見ると栃木、茨城、群馬の3県境の広大な空き地があることにお気づきの方もいらっしゃると思います。これが当時の政府が鉱毒対策として旧谷中村を強制的に立ち退かせて作った渡良瀬遊水池です。田中正造氏は晩年旧谷中村に移り住み、最後まで農民と一緒に戦いましたが大正8年に世を去りました。時は流れ、足尾銅山は昭和48年に閉山しました。
 JR両毛線桐生駅よりわたらせ渓谷鉄道(旧足尾線)に乗り、渡良瀬川の渓流を遡ること1時間20分で足尾町の中心、通洞駅に着きます。(通洞とは金属鉱山用語で0レベルの水平坑道を指します。)通洞駅のすぐ近くに足尾銅山観光があり、坑内見学と当時の資料を見ることができます。次が足尾駅、線路はそこから松木川に沿い終点間藤駅に着きます。線路はさらに川を渡り足尾本山の精錬所へ向かって延びていますが、今は列車は走っていません。間藤は精錬所で栄えた町で当時の社宅や生協の跡が残っています。町と精錬所の間には松木川の深い谷があり、鉄橋で結ばれています。このあたりから松木沢上流に掛けての山は当時の坑木伐採、煙害、山火事等で木が全く生えておらず、その風景はまるでグランドキャニオンを見るような雄大な光景です。毎年砂防、植林作業が継続して行われています。一方通洞駅の下流にある沢を約3km遡ると小滝坑です。この周辺には多数の社宅跡、選鉱場跡の石垣が残っていますが建物は残っていません。さらに1km遡ると銀山平で、温泉があります。松木沢散策後、国民宿舎かじか荘の温泉につかるのが筆者の楽しみのひとつです。
足尾銅山観光通洞坑の人車
100mで終点ですが気分は味わえます
大谷資料館の新旧掘削道具

足尾町銅山観光管理事務所 栃木県上都賀郡足尾町通洞9−2 電話0288(93)3240

(編集委員 佐藤雅典記)